1930
病弱のため外交官を断念し画家を志した長谷川潔が、最初にのめり込んだのは板目木版画であった。文学同人誌『聖盃』(のちの『假面』)の表紙を手がけ、1916年には日本初の版画グループ「日本版画倶楽部」を結成する。1918年に渡仏、その地で生涯を送ることになる。長谷川は、写真の発明によって衰退していた銅版画の技法メゾチント(マニエール・ノワール)を復活させ、さらに独自の技法を加えて発展させ、フランスで高く評価された。初期のメゾチントによる作品は長谷川独特の交叉線が画面全体を覆った風景画が中心であったが、第二次世界大戦中のフランスでの苦難のなか、彼はあるとき見なれた1本の木から、この世に存在する一切のものの存在する意味とそのなかにひそむ神秘、そしてそれぞれがゆるやかに関連した宇宙を見出し、それと同時にモティーフは風景から身近な静物へと変化した。「小鳥は多くの場合、“エスプリ”あるいは小生自身であり、魚は“マチエール”、草花及び種子は大自然の神秘を、薔薇は永遠の美、又は真理を表わさんとしたものです。 サイコロ独楽は人生を、西洋将棋の画は人生の争いを、幾何円錐体と宇宙方程式は目に見えぬ世界ユニベールの真理を表わさんとしたものです」と自らも記したといわれるように、作品中に登場する静物の位置や関係性は、すべて長谷川の思想、精神を表わすための意味をもったものとなっている。またエングレーヴィングにおいても独自の方法で発展させ、日本での先駆的な存在となっている。(A.T.)
1891-1980
ジャンル | 版画 |
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材質・技法 | メゾチント(雁皮刷) |
寸法 | 17.3×30.7cm |
受入年度 | 1982 |
受入区分 | 購入 |
作品/資料番号 | 1975-00-7491-000 |
Title | The Alexandre Ⅲ Bridge and a French Airship |
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Genre | Prints |
Material/technique | Mezzotint (gampi paper) |
Dimensions | 17.3×30.7cm |
Acquisition date | 1982 |
Accession number | 1975-00-7491-000 |