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ドローイングの可能性

2020年03月14日(土)- 2020年06月21日(日)

ドローイングの可能性

「ドローイングの可能性」展は、線を核とするさまざまな表現を、 現代におけるドローイングと捉え、その可能性をいくつかの文脈か ら再考する試みとして構想された。デジタル化の進む現在、手を介 したドローイングの孕む意義は、これと並存しながら重みを増して いる。それは完成した作品に至る準備段階のものというより、直截 的な表現手段のひとつととして、常に変化してく過程にある、人や 社会のありようを示すものであり、近年、コンテンポラリー・ドロー イングという言葉と共に、これを中心的な表現方法とする作家たち の登場も見られる。本展はそういった動向を踏まえつつ、領域と時 代について少し視野を広げたアプローチを試みた。  まず、イメージだけでなく手がきの言葉も含めて、ドローイング として捉え、両者の関係を石川九楊の近年の仕事やマティスの戦 時下の挿絵本の仕事を通して探った。また、紙の上にかく方法は、 揺らぎ、ときに途絶え、そして飛翔する思考や感覚の展開を克明 に記すものだが、このような平面の上で拡がる線だけでなく、支持 体の内部にまで刻まれるものや、空間のなかで構成される線も視 野に入れ、空間へのまなざしという観点から、戸谷成雄や盛圭太、 草間彌生によるドローイングの実践を紹介した。更に、現実を超え る想像力の中で、画家たちを捉えて離さなかった、流動的な水を めぐるヴィジョンというものが、ドローイングの主題として取り上げ られてきた点に注目し、磯辺行久や山部泰司の仕事を考察した。  ドローイングという手を介した営為は、刻々と変化する現在と伴 走するものであると同時に、創造活動の本質を研ぎ澄まし抽出す るものでもある。自然環境だけでなく、ひとの活動の多くについ て、予測をすることが難しくなっているいま、線を核とする表現は、 もっとも身近でしかし確実な一歩を痕跡として残すことのできるも のとなっている。麻生三郎が微かではあるけれど、木々の芽吹き を確かに捉えようとした試みや、オノ・ヨーコが「線について」と題 して、ブランクのままの頁に、「この線は一億年ごとに姿を見せま す」と記したことは、感染症の拡大後の現実のなかで新たな視点 を齎した。展示作業は完了しながらその公開は僅かな期間となっ た本展をとおして、最も根源的でシンプルな表現であるドローイン グは、複雑化した現代において、はてしない可能性を秘めたもの であることが示されたと言えるだろう。